心穏やかに生きていきたい。

60代後半、なぁ〜んにも無い日々の中にささやかな何かを見つけて綴って行きます。

親としての姿

ご訪問頂きありがとうございます。


台風も、夜のうちに通り過ぎ、今は風も弱く、雨もあがっています。




私は、子供がある程度大きくなるまで、父親(夫)の事を悪く言ったり、

おこないを否定するような事は、言わないようにしていました。


父親に対して、悪い先入観を持たせてはいけないと思ったからです。

(今は母子して、ボロカスに言ってますが)


たぶんそれは、亡くなった私の両親の姿を見ていて、自然にそうしていたんだと思います。


私の長兄が小学校高学年の時、作文で「両親の喧嘩をするところを見た事が無い」と書いたらしい。

先生が母にそれを言うと(信じられないと思ったようです)

母は「子供達の前では、言い争うような事はしないと、夫婦で決めてます」と言ったそうです。(父から聞きました)


でも、私達も大きくなって来ると、

言い争いはしてないが、両親が口をきかない日が2、3日続くと、喧嘩してる?と察するようにはなってました。


本当に喧嘩をしていたとしても、実際に言い争う両親の姿を見るよりは、

穏やかな気持ちでいられたのではないかと思います。


そんな両親は、お互いを悪く言う事はありませんでした。


だか、夫にはそういう配慮は、全く無かったです。


子供達の前でも、平気で「馬鹿が」と言う言葉をぶつけて来ました。


思えば、田舎に帰った時、夫と兄弟の会話は、

「馬鹿」と言われたら、負けじと言い返す、

喧嘩腰のように言いあっていたように感じました。



何度止めてと言っても、なかなか改まる事は無かったです。


言ってる本人は、単なる口ぐせで、何の意味も無かったのかもしれません。


でもわたしは、「バカ」の語感のきつさがいやでした。

語感の中に、蔑みを感じました。


だから、子供達の前で、自分の妻を、子供達の母親を馬鹿呼ばわりする、

その神経が、私は堪らなく嫌でした。


そんな夫も、やっと今は「馬鹿」と言わなくなりました。


何より良かったのは、息子がその言葉を言わない事です。

(嫌がる私の姿を、チャンと見ていてくれたんでしょうか)



最後までお読み頂きありがとうございました。