心穏やかに生きていきたい。

60代後半、なぁ〜んにも無い日々の中にささやかな何かを見つけて綴って行きます。

亡き兄の命日に思う

   もうすぐ長兄の命日が来ます。


   亡くなって30年になります。


   43歳の時、くも膜下出血でした。


   その3年前に、母が亡くなっていたので


   母を悲しませなかった事が、せめてもの救いでした。



     



   私には上にもう一人2歳違いの兄がいます。



   私達兄弟は、父の転勤で私が16歳の時に


   私は両親と共に転勤先に、長兄はその時既に東京の大学に


   次兄は高3だったので転校が難しくて


   そのままそこに残り会社の寮から高校に通い


   その後東京の大学に進みました。



   それから20年以上の時が流れた間、

     

            私達兄弟が3人揃って顔を合わせたのは、


   母の葬儀の時の一度だけでした。



   そして更に30年以上の時が流れましたが


   次兄と合ったのは、長兄と父の葬儀の時だけでした。


   こうも会わずにいると、お互いになんと呼んだらいいのか


   戸惑ってしまいました。



   両親、特に母は私達3人に何も言わない人でした。


   兄達が東京の大学に行くのも、


   私が知り合いも誰もいない大阪の大学に行く時も


   何も言いませんでした。



   お正月やお盆の時も、帰って来いとは一度も言われませんでした。

      (私は言われなくても帰ってましたが)


   だから私達兄弟が、揃って会うことがなかったんでしょうね。



   私は夫の家族を見るまで、それが普通だと思っていました。



   夫と結婚してから、子供達が中学生になるくらいまで


   毎年お正月に帰省してました。


   お義母さんからも、当然の様にいつ帰って来るのかと


   電話が架かって来ました。



   そして何かあるとズケズケと、容赦なく言ってくる


   夫の兄弟達に、自分の家族との違いをすごく感じました。



   私の両親、兄弟の間には薄い膜のような物があり


   お互いに遠慮しあっていたようなところがあったんだと思います。



   そして私も、自分の子供達対して


   一歩引いているところがあります。



   だから夫の、何かにつけて口を出して行く姿に


   「親だからっていつまでそんな事する気なんだ。」と思うんです。



   子供が結婚したら親業は終わり、でいいのでは?



   求められたらいくらでも手を貸しますが、


   こちらからは手も口も出さない、


   それがお互いにとっても最善ではないでしょうか。