心穏やかに生きていきたい。

60代後半、なぁ〜んにも無い日々の中にささやかな何かを見つけて綴って行きます。

それぞれの思い

昨日は父の誕生日でした。



生きていたら98歳です。



2年前96歳の誕生日の1週間前に亡くなりました。



入所していた施設の勘違いで、1週間早く誕生日会をしてもらい


安心したのか、その夜に腸閉塞で亡くなりました。





昨日は、次兄に電話をしました。



この次兄、一応名の通った製菓会社に就職したのに、


15年程して「つまらん、おもろない」と突然退職して


インドに行ってしまいました。




何年かして、帰って来た時には既に40歳を過ぎていました。



それからは、知り合いの所で働いたり、アルバイト的な仕事をしたりと


傍から見たら、とてもお気楽な生活振りのようでした。


 (まだ生きていた長兄が、父に時々教えてくれていたようです)



父は、中卒で働き出し


高卒でも取るのは難しいと言われた、いろんな資格を独学で取ったそうです。



鼻血が出るほど勉強した、とよく言ってました。



そして母と結婚した時に


「子供たちに残してやれるものは教育しかない。だからしっかりお金を貯めよう」と


話し合ったそうです。



そうやって苦労して大学まで行かせた次兄の生活は、


父にとっては納得いくものではなかったようです。



次第に疎遠になり、長兄が亡くなってからは、30年直接会うこともなく、


年に一度、お正月の時に電話で話しをするだけになってしまいました。




父は「80、90の年寄りが一人で暮らしているのを、何とも思わんのか!


   心配してたら、年に一度の電話なんかじゃ済まんだろう」と


私が帰省する度に言ってました。



私が次兄に電話すると「オヤジ、元気そうだし、お前さんが見に行ってくれてるから安心だ。


 それに、オヤジは俺の事いい加減な奴だって思ってるから、


 電話貰ってもあんまり嬉しくないだろう」と言いました。




でも、本当は二人共会って話しをしたかったんだと思います。



私がもっと積極的に動いていたら・・・・



お互いに、思いを伝えられないまま、


別れの時を迎えてしまいました。



そして、最期に父の残した遺言書の内容は


「オヤジは、俺の事この程度にしか思ってなかったんだな」と


次兄を深く傷付けました。




父にしてみれば、毎日自分の家と父の家を往復している私に対して


感謝や申し訳ない思いがあったのでしょう。




でも次兄の傷は、私が何を言っても癒えるものではないでしょう。



私が「遺言書の通りにしなくてもいいんだよ」と言って


それを実行しても、父の気持ちが変わった訳では無いのだから。




最期に残す言葉の重み・・・



言いたい事は沢山有るけど


みんなが幸せになる言葉を遺そう。