心穏やかに生きていきたい。

60代後半、なぁ〜んにも無い日々の中にささやかな何かを見つけて綴って行きます。

感覚の違いで済むこと?(-_-;)

ウチのマンションでは、年に1回日曜日にゴミ当番が回って来ます。



ゴミといっても、資源ごみ(空き缶、空き瓶、古紙など)を


ちゃんと分けて出すよう、見守るだけなんですけどね。



お隣さんと、2人1組で1時間立番をします。



まぁ、その1時間は次から次とゴミを出しに来る奥様達とのお喋りで


あっと言う間に終わってしまいます。



この当番も昨今は変わって来て、


始まった頃は、当番に出てくるのは奥さんばかりでしたが、


最近は旦那様が出て来るようになりました。



でも、我が家の夫は今まで一度もしたことがありません。


当番どころか、資源ごみ自体を出したことがありません。(古紙を何回か出した事はあったかな)

 ちょっと甘やかし過ぎましたかね〜(¯―¯٥)



そんなゴミ当番をしていた日曜日、70前後のジイさん(あえてジイさんと呼びます!)がやって来ました。



ジイさん、袋から空き瓶を取り出すと


そこに置いてあるリサイクルコンテナに、ポイッと放り投げたんです。



ガチャーンと凄い音がしました。



私は、手が滑ったのかと思ったんですが、


ジイさんは、何事も無いように次々と瓶を投げ捨てます。



その度に『ガチャーン、ガシャーン』と凄い音がしてるのに


そのジイさんは平気な顔をしてます。



後から来た小さな男の子が、お母さんから渡された瓶をそっと置いているのに


そのジイさんは何も感じないのでしょう、7、8本を最後まで放り投げ続けました。



その音を大きいと感じるかどうかは、人それぞれだと思います。



でも、ちょっと腰を屈めて置けばそんな音はしません。



それは感覚の違いではなく、周りの人への気配りだと思います。




このジイさんは、家でどんな風にすごしているんだろう、


家族は、こんな音に何も感じないんだろうか。 (あっ!一人暮らしらだったらごめんなさい)



このジイさんは、もう周りへの配慮など考える事もできなくなっているんだろうか


なんて余計なことを考えてしまいました。




物事に対する快、不快の感覚は人それぞれです。


だからこそ、これは不快と感じるかもしれない、という配慮があれば


お互い気持ち良く暮らして行けるんですよね。



何事も、「人の振り見て我がふ振り直せ」なんだな!なんて、ゴミ当番をしててこっそり学びました。^_^;