心穏やかに生きていきたい。

60代後半、なぁ〜んにも無い日々の中にささやかな何かを見つけて綴って行きます。

共に白髪の生えるまで

腰を痛めた日、仕事から帰ってきた夫に、


ぎっくり腰になりかけた話をしたら


夫が


「おい、大事にしてくれよ。


 ワシはお前が居ないと何にもできない、


 生きていけないんだからな!」と言いました。

      (前にも言われたことがあったなぁ(-_-;))



ちょっと、待ってや!


私は、あんたの為に生きているのではない💢 と


頭の中で、小爆発が!



いやぁ、でも私もそんなもんかもしれません。



夫の体を心配するのは、


自分に降りかかる、介護の火の粉を避けたいからだろうな、と思います。(¯―¯٥)




『お前百まで、わしゃ九十九まで、共に白髪の生えるまで』と言うことわざ(?) があります。


これは世阿弥(ぜあみ)の能『高砂(たかさご)』の台詞の中に登場します。


おじいさんが「熊手」を持って、


「箒・ほうき」を持ったおばあさんに、


「お前、掃くまで(百までのダジャレか!)


わしゃ九十九まで(九十熊手(じゅうくまで)


共に白髪の生えるまで」と語りかけます。



結納品に高砂人形というのがあります。(西日本だけ?)


実際おじいさんが熊手を持ち、おばあさんが箒を持った対の人形で、


熊手は福をかき集める縁起のよい物で、


箒は昔から邪気を祓う(魔除け)意味があります。


おじいさんが熊手で財をかき集めて、


おばあさんが箒で家を守り、夫婦ともに助け合って


仲良く長生きしようという意味だそうです。


今、このことわざは、妻の目線からの言葉だと言われています。


「お前」が夫を指し、「わし」が妻を指していることになります。


妻の方が一歳年下の理由は、夫に先立たれ一人残されるのは寂しいから、


私より先に死なないでと、いうことらしいです。(なんてかわいい妻でしょう)



でも私は、これが世阿弥の高砂のように、夫が言った言葉で、


妻が百歳、夫が九十九で


『ワシの面倒を最後までしっかり看ろよ』と


言われているように思うんです。(ひねくれてなぁ  (-_-;))




人生100年と言われる昨今


二人して、もうしっかり白髪になってるよ〜


あとは、残り30年がどう過ごせるかだねぇ。



うぅぅ、   それにしても腰が痛い  (´;ω;`)ウッ…



最後までお読み頂きありがとうございました。