共に白髪の生えるまで
腰を痛めた日、仕事から帰ってきた夫に、
ぎっくり腰になりかけた話をしたら
夫が
「おい、大事にしてくれよ。
ワシはお前が居ないと何にもできない、
生きていけないんだからな!」と言いました。
(前にも言われたことがあったなぁ(-_-;))
ちょっと、待ってや!
私は、あんたの為に生きているのではない💢 と
頭の中で、小爆発が!
いやぁ、でも私もそんなもんかもしれません。
夫の体を心配するのは、
自分に降りかかる、介護の火の粉を避けたいからだろうな、と思います。(¯―¯٥)
『お前百まで、わしゃ九十九まで、共に白髪の生えるまで』と言うことわざ(?) があります。
これは世阿弥(ぜあみ)の能『高砂(たかさご)』の台詞の中に登場します。
おじいさんが「熊手」を持って、
「箒・ほうき」を持ったおばあさんに、
「お前、掃くまで(百までのダジャレか!)
わしゃ九十九まで(九十熊手(じゅうくまで)
共に白髪の生えるまで」と語りかけます。
結納品に高砂人形というのがあります。(西日本だけ?)
実際おじいさんが熊手を持ち、おばあさんが箒を持った対の人形で、
熊手は福をかき集める縁起のよい物で、
箒は昔から邪気を祓う(魔除け)意味があります。
おじいさんが熊手で財をかき集めて、
おばあさんが箒で家を守り、夫婦ともに助け合って
仲良く長生きしようという意味だそうです。
今、このことわざは、妻の目線からの言葉だと言われています。
「お前」が夫を指し、「わし」が妻を指していることになります。
妻の方が一歳年下の理由は、夫に先立たれ一人残されるのは寂しいから、
私より先に死なないでと、いうことらしいです。(なんてかわいい妻でしょう)
でも私は、これが世阿弥の高砂のように、夫が言った言葉で、
妻が百歳、夫が九十九で
『ワシの面倒を最後までしっかり看ろよ』と
言われているように思うんです。(ひねくれてなぁ (-_-;))
人生100年と言われる昨今
二人して、もうしっかり白髪になってるよ〜
あとは、残り30年がどう過ごせるかだねぇ。
うぅぅ、 それにしても腰が痛い (´;ω;`)ウッ…
最後までお読み頂きありがとうございました。